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吹田簡易裁判所 昭和55年(ろ)22号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件公訴事実

本件公訴事実の要旨は次のとおりである。

1  主位的訴因

被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五五年三月二二日午前〇時一〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、吹田市垂水町三丁目一番三六号先の交通整理の行なわれていない交差点を南から北に向い直進するにあたり、前記交差点に一時停止の道路標識が設置され左右の見とおしも困難であったから、同交差点の直前で一時停止して左右道路の交通の安全を確認すべき注意義務があるのに同交差点の直前で一時停止はしたが右方の安全を確認することなく発進し時速約一〇キロメートルで進入した業務上の過失により、折から同交差点に東から西に向けて進入してきた下城喬(当時四四歳)運転の普通乗用自動車前部に自車右側部を衝突させてその衝撃により同人に加療約三週間を要する頸椎骨軟骨症及び頸部挫傷の傷害を負わせたものである。

2  予備的訴因

被告人は昭和五五年三月二二日午前〇時一〇分ころ普通乗用自動車を運転して、道路標識により一時停止すべきことが指定されている吹田市垂水町三丁目一番三六号先の交通整理の行われていない交差点に南から北に向かって入るにあたり停止線上で停止したが、同停止線は交差点から約二・九メートル手前に設けられており同所からは左右の見とおしが困難であったのに右方道路から同交差点に進入して来る車両に注意しないで時速約一〇キロメートルで同交差点に進入し、もって交差道路を通行する車両に注意せず、かつできる限り安全な速度と方法で進行しなかったものである。

二  当裁判所の認定した事実

1  本件事故(主位的訴因掲記の衝突事故)現場付近の状況

《証拠省略》を綜合すると本件事故現場付近の状況は次のとおりであることを認めることができる。

(一)  本件事故現場は阪急電鉄千里山線豊津駅に近く、同駅から豊中市方面に通じる道路である豊中吹田線上の交通整理の行われていない一交差点(以下本件交差点という)内に存する。

右豊中吹田線は本件交差点付近では東西に通じる巾員約五・五メートルのアスファルト舗装された道路であり終日西行きの一方通行(但しバスを除く)となっている。

他方右道路(以下東西道路という)と本件交差点において十字型にほぼ直角に交わる道路(以下南北道路という)は、同交差点付近では東側に歩道が設けられており車道部分は巾員約五・二メートルのアスファルト舗装道路であり、交差点南側には一時停止の道路標識が設置されている。

なお右各道路とも終日最高二〇キロメートル毎時の速度規制がなされている。

(二)  本件交差点における道路の各曲り角にはいずれも建物が存するため、これに妨げられ同交差点に進入する場合どの方向から進行して来ても左右の見とおしは困難である。殊に南北道路の北行き車両が前記一時停止標識に従って路上に設けられた停止線の直前で停止した場合、右停止線は交差点から約二・九メートル手前に設けられているため停止地点からの左右道路への見とおしは一層困難となる。もっとも右停止線から交差点に接近するにつれて交差道路への展望は次第に広がり後記②地点から右方道路は四四・四メートル東方の地点を見とおすことが可能である。

(三)  本件事故当時降雨のため本件交差点付近道路の路面は湿潤していた。

2  本件事故とその前後の状況

《証拠省略》を綜合すると次の事実を認めることができる。

(一)  被告人は昭和五五年三月二二日午前〇時一〇分ころ普通乗用自動車(同乗者が二名あった)を運転して南北道路を北進し同人としては初めて通過する本件交差点に差しかゝりこれを直進するに際し、前記道路標識に従い停止線のほゞ直前で一時停止をした。その位置からは左右の安全確認をすることが困難であったから発進徐行し右左の順に交差道路の望見を試み再度右方道路に目を転じたとき西進してくる下城喬運転の自動車を認めた(このとき被告車の速度は時速一〇キロメートル位になっていた)が同車と自車との間隔が約一六メートル離れているように見えたし、更に西進車の方が速度を落すと期待したので自車の方が先に交差点を通過し得るものと判断し、加速して(本件衝突時には時速約一五キロメートルに達していた)そのまゝ本件交差点に進入した。

なお当時は東西および南北各道路とも交通量は閑散であった。

(二)  下城喬は前記日時頃普通乗用自動車(タクシー)を運転し乗客一名を同乗させ東西道路を時速約二五キロメートルの速度で西進し本件交差点を直進しようとして後記の本件衝突地点の手前約七・八メートルの地点(前記検証調書の表示に従い地点とする。以下同じ)に差しかゝった際左斜め前方約八・一メートルの地点(つまり後記衝突地点の南方三・一五メートルの地点。前同様以下これを②地点とする)に南北道路を北進して同交差点に進入して来る被告運転車両を認め衝突の危険を感じて急ブレーキをかけた。しかし右急制動の措置も及ばず同交差点の北端の線から約一・八メートルの南寄りで且つ東端(南北道路の北側車道部分の東端)の線から約二・一メートル西寄りの地点(前記調書の×印で表示された地点)において被告車両の右側部に下城車両の前部が衝突した。

(三)  右衝突により被告車両は右側部凹損の中破程度の損害を、下城車両は前部バンバー、ラジエターグリル凹損の中破程度の損害を受けたほか被告人も頸椎捻挫等の傷害(当初の診断では加療約三〇日間を要すとなっている)を受けた。

これに対し下城喬は事故後一週間を経過した同年三月二九日に至って近所の牧医院の院長牧安孝に対し殊更に本件交通事故に遭遇した事実を秘し単に首が痛いと訴えて診断を受けその結果他覚的所見としては首の右後部の圧痛のほかレントゲン検査により頸椎上部の若干の角状化が認められたので牧医師より同日付で「病名頸椎骨軟骨症、今後約二週間の休業安静通院加療の必要がある」旨の診断書を得、これを同年四月三日吹田警察署における本件事故取調の際に提出した。

しかるにその後同年五月中頃検察官から取調を受けた際右診断書の日付が事故後若干の日数を経過していることを指摘せられたことから、その間も右事故による傷害の治療を受けていたように偽装工作することを思い立ち同月一六日やはり近所の飯田医院に赴き同医院の接骨医に対し本件交通事故遭遇の事実を秘したまゝ一〇日程前から首が痛い旨申し向けて診断書の作成を依頼し、同日付で診断書の交付を受けたがそれに「右頸筋挫傷、上記病名により五月一六日より一週間の治療を要する」旨の記載があったため、そのまゝでは自己の企みを実現できないので同医院医師飯田俊夫名義で同日付の「病名右頸筋性傷、上記病名により三月二四日~二八日まで治療をしたことを認めます」と記した診断書を自らの手で偽造しこれを検察庁に提出するに至った。

三  被告人の刑事責任の有無についての当裁判所の判断

1  主位的訴因について

審理の結果によると公訴事実にある日時場所において被告人及び下城喬の各運転する車両によって前記態様の交通事故が起ったことは明らかであるが、その事故により下城喬が傷害を負ったことについてはこれを認めるに足りる証拠がない。

すなわち、前記のような態様の衝突事故に遭遇した場合自動車運転者が頸椎捻挫症乃至外傷性頸椎症候群(いわゆるむち打損症)の傷害を蒙ることが多々あることは経験上我々の良く知り得るところであり、これに「本件事故の翌日から(下城は)首が痛く右斜め後に廻らなくなり自宅でサロンパスを貼ったりしていたが痛みがとれないので三月二九日に牧医院に行って診察を受け四月上旬頃までは会社も休んでいた」との前記下城証人の、公判調書中の供述部分乃至供述や「外傷性頸椎症候群と頸椎骨軟骨症とでは現われる症状に余り差異はない。一週間前に交通事故があってその後一週間首が痛いという事実があればその間に因果関係があると判断することもできる」旨の前記牧証人の公判調書中の供述部分を併せ考えると本件衝突の衝撃により下城が公訴事実記載のとおりの傷害を負ったと判断することが可能であるとする余地がある。

しかしながら他面右牧証人の供述部分によれば頸椎骨軟骨症というのは一種の老化現象である上慢性疾患であり、レントゲン撮影によって認められた頸椎上部の骨の角状化が外傷によって起るという学術論文上の記述もなく従って仮に自分が下城の交通事故の事実を知ったとしても頸椎骨軟骨症については交通事故とは関係がない旨患者に告げていたであろう、本人からは交通事故に遭ったという訴えがなかったのでカルテには―――頸椎上部に圧痛があるとしか記載していない、また下城から交通事故のことを聞いていたら診断書にどう書いたかそれはなにぶん済んでしまったことなので答えることは不可能である、などとも述べているのであって結局同証人の供述内容は全体として甚だ曖昧なものであると評せざるを得ず

また下城証人の、当公判廷における供述或いは前記公判調書中の供述部分によれば、同人は事故後一週間後に初めて牧医師の診断を受け、その後全く何処の医院病院においても治療を受けていないのであり、牧医院、飯田医院のいずれにおいてもさしたる理由もなく本件事故遭遇の事実を秘したまま単に首が痛い旨告げて診断を受け、殊に飯田医院において接骨医の診断を仰いだのみで同医院飯田医師名義の診断書を偽造しているのであり、また牧医師作成の診断書も自分が勤務する会社へは欠勤を続けたといいながら提出せず、本件事故取調のため警察に呼び出された際相手方である被告人から先に診断書が出されているのに対抗して自己の前記診断書を提出するに至ったことが認められるのであり、これらの事実に照らすと下城が本件事故により傷害を負ったとする同証人の供述内容は容易に措信し難いものといわなければならず、

更に本件事故の態様についてみても下城車両の進行速度は二五キロメートル毎時位であるが、下城は被告車両が本件交差点に進入して来るのを認め急制動したのであるから同車との衝突に対し身構える態勢を執ったであろうことが推認し得るし、また下城車の同乗者であるタクシー乗客に右衝突による傷害を生じたという事実もこれを認めることができないのであって

以上を綜合すると結局下城喬が本件衝突事故により公訴事実記載のとおりの傷害を負ったことを認めるについては証明が十分でないといわざるを得ず、そうするとその余の点を判断するまでもなく右主位的訴因は犯罪の証明がないことに帰する。

2  予備的訴因について

検察官の主張は要するに被告人が本件交差点手前の停止線で一時停止したけれどもその後交差道路の右方の安全を確認せず時速約一〇キロメートルで交差点に進入したものであり、そのことが交差道路を通行する車両に注意しかつできる限り安全な速度と方法で運転したとはいい得ないことになるというのである。

そこで右一時停止後の被告人運転車両と下城運転車両との速度関係および位置関係についてみてみるに

まず下城車の速度については、《証拠省略》によれば同車には自動車運行記録計(いわゆるタコメーター)が備え付けられており、その記録紙(チヤート紙)に記録せられたグラフを解析して、本件衝突直前の同車の走行速度は時速二五キロメートル前後と判定せられたことが認められこれと同人が当初警察での取調の際には時速約三〇キロメートルで走っていたと述べていることと照合すると後者が単なる運転経験による速度感覚に基いたことを述べたものであることを考慮に入れると同車の当時の実際の速度は時速二五キロメートルからさほど大きくははずれていないと考えざるを得ない。

次に被告車の速度については、本件交差点の停止線で一旦停止し、一、二秒して発進し下城車を発見した地点に達したときには時速約一〇キロメートル、その後加速して衝突時には約一五キロメートル毎時であったとする被告人の、《証拠省略》における説明以外に直接これを認めるに足りる証拠はない。

そこで右説明のほか衝突地点についての被告人、下城喬の両者の説明が一致していること、下城車の当時の速度が前記のとおりであること、などに下城証人の《証拠省略》中の供述部分における本件事故直前の状況についての説明を結び合わせて考えると、下城は時速約二五キロメートルで地点にさしかかったとき②地点に被告人車が出て来たのを発見し急制動をかけたが及ばず衝突したとみることができ(そうすると下城車のブレーキが効果を表わす余裕も殆んどなかったであろうことも容易に首肯しうる)、ほかに本件事故が右の態様以外の状況で起ったであろうことを推認しうるような証拠はない(ただ被告人は警察での取調段階から一貫して被告人車が一時停止後時速一〇キロメートルで右②地点に出て来たとき下城車は衝突地点の東方約一五・一メートルの地点(前記検証調書表示の地点)に在ったと述べているが、そうすると衝突地点までの距離関係からみて下城車は被告車の五倍近い速度で走行していたことになり前記下城車のタコメーターの記録に若干の誤差が生ずることがあると考えても同車が五〇キロメートル毎時に近い速度で走行していたとは到底認め難い)。

次に右のような状況下で本件衝突事故が生じたとすると、果して被告人の本件交差点の通行方法が交差道路を通行する他車との関係において妥当であったかどうかについて考えてみる。

先ず被告人が一時停止したとする地点からは既に認定したとおり左右道路への見とおしが困難であるから被告人としてはたとえ一時停止を怠らなかったとしてもその後においてもその見とおしのきく地点まで左右の安全を確認しつつ徐行して進行しなければならないことは交差道路からの進行車両との衝突事故を防止するために必要であることはいうまでもない。

ところで②地点から右方は約四四・四メートル遠方まで見とおすことが可能である。それにもかかわらず被告人が②地点に至るまで右方の安全確認をすることなく進行して来て同地点に至って初めて下城車の地点への出現に気付きながらなお且つそのまま直進を続けたとすれば②地点および地点間の距離は仮に下城車が徐行していたとしても自車がそのまま安全に交差点を先に通過しうるかどうか判断に迷わざるを得ないような至近距離とみなければならないから被告人には右方の安全確認において欠けるところがあったとみられてもやむを得ないのであり、またそのような状況であったという疑いを入れる余地もないではない。

しかしながら仔細に検討すると下城喬が被告車を発見したときの両者の位置関係が前記のとおりであったとしても被告人が下城車を発見したときも同様の位置関係にあったと速断することはできない。この点被告人の、《証拠省略》中の供述部分によれば同人が下城車を発見したのは②地点に進行したときでそのときの下城車の位置は地点より更に八・三メートル東寄りの地点(前記地点)であったというのであるが両者の位置関係がそのような状況にあったとはみられないことは既に説示して来たところから明らかであろう。けれども被告人の右供述調書によれば、被告人は「かなり東方向に遠く前照灯を点けた車が進行して来るのを見た」と述べていること、また同人の《証拠省略》中の供述部分によれば被告人としては「下城車の前部をみることになるので同車を発見したときの同車の確実な速度は分らない」と述べていること更にまた同供述部分に被告人は一時停止後発進し右左と確認しながら時速一〇キロメートルで進行し再度右方を見たときに下城車を発見したと述べていること、そして右一〇キロメートル毎時の速度については一時停止後のことであるから徐々に加速して下城車発見時にはそのような速度に達していたであろうとの趣旨に解せられることまた《証拠省略》によれば被告人の方からの右方道路への見とおしは実況見分調書表示の点(本件交差点の東南角を基準としてその西方への延長線から南へ約六・七メートルの南側道路中央部の地点)において地点の下城車前部を見とおし得ることとなり、被告車が進行するにつれて右方道路への展望は次第に広がり②地点に達したときは前記のように四四・四メートル東方の地点を見とおすことが可能となるに至ること、などと綜合して考えると、被告人が下城車を発見したのは下城が被告車を発見した時点より早く、従ってまた発見時の下城車の位置も衝突地点から東寄りに一四~五メートルの距離即ち下城車が徐行していたならば当時降雨のため路面が湿潤していたことを考慮に入れたとしてもなお被告車との衝突を免れるのに十分な距離を有する地点にあったとみることも可能であると思われる。もとよりこのように考え得るということは右のような距離間隔があれば常に被告車のような状況におかれても必ず安全に交差点を通過し得るということを意味するものでないことは、交差道路を通過する車が往々にして徐行義務を怠ることがある事実に徴して当然である。

けれどもおよそ交通整理の行われていない、しかも左右の見とおしの悪い交差点を通過しようとする車両が交差道路を進行して来る他の車両を発見した場合つねに双方がそのままの速度で進行しても衝突する虞れがない場合にのみ通過し得ると解するのは相当でない。この理は本件のように一時停止標識の設けられた方の道路を進行して来た車両が一時停止後に交差点を通過しようとする場合でも同様である。

即ち、交通整理の行われていない交差点で、しかも左右の見とおしの悪いかつ交差する道路の幅員が一方が他方に比し明らかに広いとは認められない交差点において自動車運転者が一時停止の標識に従って交差点直前で一時停止し発進進行しようとする場合にはこれと交差する道路から交差点に進入しようとする他の車両が交通法規を守り交差点で徐行すること(道路交通法第四二条参照)を信頼して運転すれば足りると解せられる(最高裁判所第三小法廷昭和四八年一二月二五日判決参照)ところ、本件のように一時停止すべき場所(停止線)が交差点から約二・九メートル手前に設けられているような場合にあっても(停止線が設けられているからといってかかる交差点の交差道路から進行して来る車両が交通法規を守り徐行しなければならないことには変りがないから)同様の信頼の下に運転すれば足りるのであるが、ただそのような場合は右停止線で停止後発進進行し交差点直前にさしかかるまでに交差道路から交差点に進入しようとし徐行しつつ接近する他の車両もあり得るからこれとの衝突を避けるために運転者としては停止線からの発進後左右の安全を確認しつつ徐行することが求められるに過ぎず、交差点直前で当然再度停止することまで求められるものではないと解する。

従って一時停止後左右の安全確認をしつつ徐行をして交差点直前にさしかかった車両の運転者が交差道路から進行して来る他の車両を認めたとき、同車の徐行を期待して同車との距離関係から自車が安全に通過し得ると判断し得る場合にそのまま交差点を通過しようとしたとしてもこれに非難を加えるのは当らないというべきである。

これを本件についてみるに、被告人は本件交差点手前の停止線を発進後、右左右の順に左右を確認しつつ交差点南端にさしかかり(このときの同車の速度が時速一〇キロメートル程度に達していたとしても、当時は深夜で交差道路の交通量も閑散であったこと、前記のように北進するにつれて左右の展望が広がること、更に本件交差点の幅員などに徴して右程度に至るまでの進行速度をもって徐行となすに妨げないと考える)下城車を同車が徐行していたならば被告車がそのまま進行しても十分安全に交差点を通過し得た筈の距離を有する地点に発見した可能性もあることは前記のとおりであるからさような場合の被告人の本件交差点の通過方法に非難を加えることは当を得ない。

なお《証拠省略》を綜合すると被告車が一時停止をし発進して交差点にさしかかる間に右方道路から一台のタクシーがかなりの速度で直進通過したことが認められるが、当時の時間帯から考えて右事実をもって直ちに後続車の存在を予測しなければならない事情とみるべき必然性もなく、又後続車に対しそれが徐行すべきことの信頼が失われるべきものでもない。

本件では下城の被告車発見時の位置関係からみて下城の方が被害車の発見が遅れたことが推測できるのであって、そうすると本件衝突事故は結局下城喬の左方の安全不確認、徐行義務違反等の一方的過失に基くものであることを思わしめる。

以上の次第で、被告人が本件交差点を通過するに当り交差道路を通行する車両に注意しなかったことや、できる限り安全な速度と方法で運転しなかったことについては結局証明不十分といわなければならない。

四  結論

以上のとおり本件については業務上過失傷害、道路交通法違反のいずれについても犯罪の証明がないことになるので刑事訴訟法第三三六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 黒根宗樹)

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